ちょっとしたこと

推しが生きてるだけでスタオベ

大好きな原作の舞台化〜ヘタミュ終演を迎えて〜

2.5次元は原作がありきの舞台です。
原作とは違った魅力を見せてくれるのが2.5次元舞台の楽しさのひとつではあるのですが、一方で原作ファンはその「違った魅力」抵抗感を覚えることがあります。
私にとってはAxis Powersヘタリアがそれでした。
 

 

※ 自分語りが含まれるので興味ない人は回れ右で。

 

抵抗感

ヘタリアがweb漫画として連載を始めた当時、私は中学生でした。
魅力的なキャラクターたち、カラフルな絵、シリアスな世界史をコミカルに描くキャッチーさ、全部が大好きでした。
中高一貫校で高校受験もなかったし、どっぷりヘタリアに浸かることができたのも沼を深めた原因かもしれない。
気づいたら中学高校6年間どっぷりハマってました
大学に入ってからは舞台通いを始めたので、中高と比べると遠ざかってはしまいましたが、それでもコミックス集めたりグッズ買い集めるぐらいには好きでした。

ヘタリアの絵を真似て絵を描く楽しさを知ったし、アニメイトも知ったし、声優も覚えたし、2次創作の存在も知ったし、ナノやフォレストページや確かに恋だったも知ったし、キリバン・ゾロ目・バトンも知ったし、歌ってみたや踊ってみたやMMDも知ったし、学級会も知ったし…
とにかくヘタリアは私のオタクとしての原点となるような、青春時代を捧げた作品でした。

原作への愛が成熟していれば成熟しているほどに、新しいコンテンツへの抵抗感は増すものだと思います。
ミュージカル ヘタリアは原作がweb漫画として連載を開始して約9年後に新しいコンテンツとして登場しました。
9年という時間は原作への愛が成熟するには十分すぎる時間でした
ヘタリアのミュージカル化が決まったときは抵抗感しかありませんでした。
ひとつのコンテンツとして完成しているものに対してどうして今更手を加えようとするのか?
大げさな言い方ですが、自分の聖域を汚されるような感じでした。

ヘタリアがミュージカル化されたときには既に舞台通いを始めて数年経っていたので、自分が好きな原作の舞台を観にいくことは経験済みでした。
それでもヘタリアのミュージカル化だけは受け入れ難かった。
あと、元々現実と結びつきやすいデリケートなジャンル、というのも抵抗感を大きくする要因のひとつでした。
「諸般の事情」でアニメ放送中止もありました。
みんな今まで注意を払って、サイトにはパスワードをかけながら、イベントは運営元に細かく確認をとりながら、ヘタリアを長く愛してきたんです。
それなのに一石を投じるようにミュージカル化する、なんて受け入れたくても受け入れられませんでした。

絆される

キャストに推しがいる友達に引き摺られながら、初演を観ました。
自分でチケットを取って2作目、3作目を観ました。
初演を観てミュージカル ヘタリアが大好きになりました。
正直に言うと脚本がめちゃくちゃ良かったとか演技や歌がめちゃくちゃ良かったというわけではないです。
これはどうなんだ…?って苦い顔する場面もありました。
でも何がそんなにヘタミュを好きになる原因になったんだろう?
その答えは「キャストのヘタミュ愛・ヘタリア愛」だと思ってます。
ヘタミュ観劇済みの人は痛いほどわかると思うのですが、ヘタミュのキャストは他のミュージカルのキャストと違って異様なまでに作品を愛してるんです…
キャラクター、カンパニー、キャラ同士の関係性、全部にキャストの深い深い愛情を感じる作品なんです。
そんなキャストの深い深い愛情に絆されちゃったんだな、って思います。
あそこまで愛してくれるなんて、原作ファンとしては満足せざるを得ない。
今では演じてくれてありがとう、ヘタリアを大切にしてくれてありがとう、って気持ちでいっぱいです。

終演を迎えて

2018年3月18日にミュージカル ヘタリアは終演を迎えました。
結論から言うと素晴らしかったです。
最後はミュージカルではなく、作品内の曲を歌って踊るというライブ形式だったのですが、愛情に満ち溢れた公演でした。
踊りが素晴らしいライブは他にいくらでもあるし、歌がずば抜けてるライブもいくらでもあるけど、こんなに作品愛に満ち溢れたライブはなかなか無いと思う。
これを超えるライブは今年はもう見られないと思うくらい。
客もキャストもヘタミュが終演を迎えるのが嫌過ぎて、私情を挟んでるというか、馴れ合いすぎてる感が出てる部分も多々あったけど、それだけ作品を愛してることが伝わってきたのでそれはそれで見てて一緒に泣きました。
細かい部分で本当にキャラクターを大事にしてることが伝わってきました。
たとえば普。
キャストの素が出るようなおふざけのアドリブの場面で、咄嗟に右手を出しかけてすぐに左手を出した瞬間に心の中でスタオベしました…
あと同じシーンでド…って言いかけてヴェストって言ったときもスタオベしました…
どんなときでも普の左利き設定・兄弟設定守ってくれて超うれしかった。
私が普のオタクなら泣き明かしてた。
あとぶっちゃけると長いこと英の夢女子やってたんですが(島国も好きよ)、英を演じてくれたのが彼で良かったと心から思いました。
正直解釈違いはあるけれども、あれだけキャラを愛してくれてたら満足
 
ついでに蛇足だけれども、話題になってる英のカテコ
「舞台に出るのがしんどかった・辛かった」発言ばかりが拡散されてるけど、「でも舞台に立ってるそのときは楽しかった」って言ってるから…!!
 
あとこれは個人的な意見
Twitterにも書いたけど、しんどかった・辛かったっていうのは役者という立場抜きにした個人の感情だし、舞台で見せるべきもの見せて、隠すべきもの隠してたらそれでいいのでは?
バクステは舞台ではないし、役者としての感情も個人としての感情も出て当然。カメラ回ってる範囲は注意すべきとは思うけど、バクステにまで「舞台上の理想の役者像」を求めるのは求めすぎなんじゃないかな、と個人的には思います…
そもそも「しんどいって思っててほしくない!辛いって思っててほしくない!」っていうのは単なる現実と自分の解釈違いに腹立ってるオタクのエゴにも思える。
思いをむき出しにせずに表面上はカンパニーとよろしくやってたら、仕事としては事足りてるのでは…?
2.5次元はすぐに円盤作って、「はい特典映像のバクステです!素の役者も楽しんでね!」って売り方をするから、役者としての彼ら彼女らだけじゃなくて、個人としての彼ら彼女らを好きになる/させるのが常態化してる気がします。
でも本来であれば、舞台上で役として愛されていれば、それで仕事は十分果たしたことにはなるはず。
アイドル売りの方がお金になるし、実際私自身もバクステ見るの楽しい!!役から離れた推しも最高!!ってタイプのオタクだから、個人を商品にする意味もわかるんだけどね…
 
あの発言をあの場でするべきだったのかは論点が残るとは思うけど、とりあえずオタクの私としては、役者人生を変えるほどヘタミュ・ヘタリア・英に情熱と愛情を注いでくれてありがとうって気持ちでいっぱいです。
役者としてひとつの作品を特別扱いするのはタブーというかマナー違反、という意見も見かけましたが、たくさんの作品の中で、自分の根となる作品があってもいいじゃないか。
根が無ければそこから咲く花は折れちゃうよ。
 
話しが逸れたけど。
ヘタミュライブはキャストも客も号泣していたのが印象的です。
ヘタミュというコンテンツが終わりを迎えてしまう悲しさもあったし、ここまで作品が大きくなったっていう感動もあったし、デリケートジャンルがゆえに心の底からキャラ愛を叫べる場がある喜びもあったし、ライブという形式もミュージカルでは味わえないキャストや他の客と「共有する」楽しさや喜びもありました。
なんだかんだキャストのヘタミュ愛・ヘタリア愛に、客もスタッフも制作陣も絆されたのかもしれない。

原作と舞台と

原作との住み分けは2.5次元舞台というか原作モノ舞台の永遠の課題だと思います。
刀ミュや刀ステは「とある本丸」として、原作ゲームプレイヤーの審神者の本丸とは切り離した世界を作って、原作と住み分けています。
王室教師ハイネは、アニメ出演者と舞台キャストを同一にすることで、原作との乖離を少なくしています。
劇団シャイニングは、原作を「初演」として、舞台作品を「再演」とすることで、原作を守っています。(この演出は感動した)
ヘタミュは?
ヘタミュはキャストの愛情の強さでしょう。原作の枠を飛び越えて、愛で屈服させてくるのがヘタミュかな、と思います。
 
ヘタミュを知らないフィールドから見ると、キャストも客も馴れ合ってるし綺麗な言葉ばかり並べてるし、正直宗教じみてて異様な光景だとは思います。
でもヘタミュのフィールド内では、キャストと客はヘタリアという作品を通じて相思相愛だし、それであれば万事快調なんです。
誰も触れない二人だけの国終わらない歌ばらまいて、っていうロビンソン的な愛の形でヘタミュはいいんだと思います。
 
終演なのか、一時的なシエスタなのか、終わり方には謎も残りますが、ヘタリアのオタクは冬眠慣れしてるのでしばらくのお休みぐらいならダメージは少ないです。
また花が咲くそのときに、全力のヘタミュ愛を見せてください!
再び会える日を楽しみにしてます。

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おしまい