ちょっとしたこと

推しが生きてるだけでスタオベ

刀ステ 悲伝 感想 不如帰の行く末とは?

ネタバレ配慮が一切無いネタバレの塊のような刀ステ感想です。
考察という名のオタクの妄想を多分に含むので苦手な方はご注意を。
6/5 記事投稿
6/6 更新(紫字)死ぬほど長くなった
6/7 更新(青緑字)さらに長くなった
6/27 更新(青字)あらすじ削除 重複部分削除 コメント欄で話したこと等+αを追記
この3週間でたくさんの考察コメントをいただきました~!
はてブロには珍しい)語り場みたいなコメント欄になってて面白いのでよければコメント欄まで見て行ってくださいませ~

7/11 更新(緑字)これどこまで長くなるんだろう

 
今年も推しの誕生日に刀ステ観劇できました〜〜!!わーい!!
33歳成り立ての推しは神々しいほどに美しかったです。美しさの標本だった。
刀剣乱舞シリーズは推しが出演してる作品の中でも特に好きな作品です。
三日月宗近という、作品の代表的なキャラ、周りの期待値の高いキャラを、推しだからって任せてもらえてる感じが伝わってくるから大好き。
そんな刀剣乱舞シリーズの最新作、悲伝 結いの目の不如帰の感想+考察メモです。

 

ホトトギスの意味

ジョ伝から続いての言葉遊び。
刀剣男士たちから「鵺」と呼ばれ、複数の刀から成る付喪神は義輝から「時鳥」という名前を与えられます。
「時鳥」というのは本来は「決まった時期に鳴く鳥」のことを指しますが、劇中では「時を越えて、義輝を導き飛ぶ鳥」として使用されます。
そして「結いの目の不如帰」の解釈。
これは幾重にも解釈ができる面白いサブタイトルだと思います。


「鵺と呼ばれる」=不如帰

永禄の変を繰り返す円環を結いの目と呼び、そこで生きる「鵺と呼ばれる」=不如帰と考えるのが1つの解釈。
実際に劇中でホトトギスと呼ばれていたし、一番シンプルな解釈です。


義輝=不如帰

あとは、義輝=不如帰。
劇序盤で義輝は「儂が死すのは何度目だ」と言います。このことから義輝自身も時間の円環を巡っていることがわかります。
また、義輝の辞世の句、「五月雨は露か涙か不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」に出てくる不如帰。
句の中では、死んでいった自分に代わって不如帰に足利将軍家の名を広めてくれと義輝が願っています。
劇中で義輝は不如帰に頼らず、自分の手で将軍家の威光を取り戻そうとします。結いの目の中で。
ここから義輝=不如帰と読むこともできると思います。暁の独眼竜、三つら星刀語りもサブタイトルで歴史上の人物を示していたのでこの解釈も不自然ではないかと。


三日月=不如帰

三日月=不如帰という解釈。
序盤で義輝が三日月に対して「おまえが不如帰か」と問うシーンがあります。
ここでの不如帰とは人を死へ誘う冥府の使いとして使われていますが、三日月は義輝の言葉を肯定もしなければ、否定もしません。
また、劇中で義輝も言っている通り、ホトトギスという鳥には沢山の漢字があります。
その中で敢えて「不如帰」という漢字を当てたのは何故でしょうか。
義輝は不如帰は「帰りたいとも鳴くし、帰りたくないとも鳴く」と言います。
「不如帰」とは本来書き下すと「帰るにしかず」になります。
この しかず とは百聞は一見にしかず の しかずと同じ意味です。
つまり「帰るにしかず」=「帰るのが良い、帰るのが一番だ」、転じて、「帰りたい」。
結いの目の中で「帰りたい」と鳴いているのは、三日月だと思うのです。


山姥切=不如帰

これはもうそのままずばり三日月が言っていますね。
「山姥切、俺を見送る不如帰はおぬしのようだ」と。
結いの目である三日月を送る冥府の使いである不如帰は、山姥切であると三日月は言います。
確かに山姥切は三日月の刀解を見送る、冥府の使いのような存在なのかもしれませんが、それでも山姥切が「三日月のいない本丸に帰りたくない」「三日月のいる本丸に帰りたい」と鳴く不如帰であってほしいと願わずにはいられません。


余談

公演パンフレットの左上に花びらに混じって小さな鳥のシルエットのようなものが描かれています。
シンプルに解釈すれば不如帰。
パンフレット裏面、東の空に三日月が昇ってることから夜になり始めている頃であるとわかります。
東の空から月が昇る頃、西の空には太陽が沈み始めます。
西を向いて飛んでる不如帰の行く末を照らすのは、太陽。
この舞台刀剣乱舞における太陽といえば…………

パンフレット小ネタ

パンフレットつながりで小ネタ。
パンフレット全体には「時の糸」が通っているが、三日月のページを通る糸のみ、円を描いている。
また、パンフレットの表紙にある三日月宗近の刀剣。地面に突き刺さっていますね。
劇中では刀剣を地面に突き刺す印象的なシーンがあります。冒頭の義輝が討たれた時のシーンです。
このとき敵軍は何と言っていたか?
「己が刀剣を己が墓標とするがよい!」
三日月宗近の刀剣は誰の墓標と成ったのでしょうか?義輝?それとも三日月自身…?

「鵺と呼ばれる」の存在

複数の刀から成り、その成り立ちが猿の顔や狸の胴体をもつ鵺に似てることから刀剣男士たちから「鵺と呼ばれる」付喪神
具体的には、久秀軍が義輝に突き刺した、義輝所有の6本の刀から成る付喪神です。
「鵺と呼ばれる」は劇中、時鳥の名を得た後の戦闘で、三日月の台詞を言い、三日月の殺陣を見せます。
これは彼のもととなっている6本の刀に三日月宗近が含まれているからではないかと。
刀剣男士たちによって時間遡行軍が倒され、時間軸が正常に戻ると、永禄の変は通常の歴史を進みます。
劇序盤の「鵺と呼ばれる」が生まれた義輝討ち取りの場面とは異なり、今度は義輝は三日月宗近を手に持っています。
そして自分を討ち取った褒美として敵軍に「その刀の名を後世まで伝えよ」と三日月宗近を与え、自身は所有していた5本の刀によって突き刺され、討たれます。
三日月宗近は永禄の変で使われる。義輝を討つために。」という間違った歴史は、「三日月宗近は永禄の変で使われない。」という正しい歴史へ修正されました。
三日月は歴史は結果論だと言い、歴史を変えようとも歴史を修正しようとも、結果は同じで、歴史は結果通りに流れるだけだと言います。
それでも、「三日月宗近は永禄の変で使われない。」という正しい歴史へ修正されたことに希望を見出さずにはいられません。


小烏丸

弊本丸にはいない刀なのでへえ~~~!!こんな美人なのか~~~!!と暢気に見てたのですが、小烏丸様のセリフがいちいち良すぎました。
特に不動、長谷部、山姥切が三日月を歴史修正主義者ではないかと疑うシーンのセリフ。
「不動行光、おまえが見た三日月宗近であったか?」
へし切長谷部、おまえが見た三日月宗近は無かったか?」
「山姥切国広、おまえの目にめに映った三日月宗近何なる刀であったか?」
そして山姥切が取った行動は刀解でも破壊でもなく、三日月の「助」。
いわずもがな、今までの刀剣乱舞シリーズです。こういう細かい演出大好き。
(いかなる=如についてはコメントにて教えていただきました!ありがとうございます!)

余談

小烏丸はしきりに「偽り」といいます。
おまえたちが見た三日月宗近の姿は偽りではなかった、と。
「人の為」と書いて「偽り」。
三日月は誰の為に本丸で三日月宗近をやっていたのでしょうか。

顕現セリフ

顕現した時のセリフが劇中で頻繁に使われてるのが印象的でした。
何回も聞いて思ったけど、あれって自己紹介みたいなものだから、その刀剣男士の物語/歴史背景を語っているんですよね。
まんばちゃんなら、「山姥切国広だ。…何だその目は。写しだというのが気になると?」
歌仙さんなら、「僕は歌仙兼定。風流を愛する文系名刀さ。どうぞよろしく」
で、三日月の入手セリフってよく考えると三日月自身の物語というか歴史背景って読み取れないんですよね。
三日月宗近。打ち除けが多い故、三日月と呼ばれる。よろしくたのむ」
自分の身体的な特徴を述べるだけで過去が読み取れないのが今になって不気味に感じました。
時間の円環を回る三日月には自身の物語は無いのか、それとも敢えて語らず捨てたのか。
物が語るゆえに物語、というセリフもあるのに自身の物語については語らない三日月はやっぱり物であることを逸している気がします。
まあ鶴丸みたいな口上もあるからオタクの深読みと言われてしまえばそれまでですが…

刀とはなんだ?!

いや本当それな。
「刀とはなんだ?!」は「鵺と呼ばれる」のセリフです。
これは悲伝の要となるセリフだと思います。
今作では刀剣男士たちの刀としての在り方が問われています。
たとえば燭台切さんと歌仙さんの会話。
料理をしている方が性に合っているという燭台切さんに対して、歌仙さんは「僕たちは刀だ、刀としての本分を忘れるな」と戒めます。
修行から戻った不動くんと長谷部さんは「今の主の刀」であることに自分の在り方を見出します。
また今作では三日月の美しさについて何度も語られています。
大般若さんは「三日月はただ美しかった。桜の美しさに理由がないように、ただ美しかった」と語ります。
山姥切は序めて見た三日月のことを「ただ深く優しくそして美しかった」と語ります。
そして何より、三日月は美しいがために、主である義輝の最期の時であっても、斬ることができない刀として描かれています。
小烏丸や三日月が言う通り、刀は時代や心を込める人間によってその在り方を変えます。
それでも三日月宗近という刀は、いつの時代も「美しく在ること」を求められてきたのかもしれません。
それもまた刀。三日月は刀として美しくあることをどう思っているのでしょうか。

余談

これは初演からそうなんだけど、私は推しの三日月宗近はその人外の美しさから、刀というよりも神様の要素を強いと感じています。
で、それを推しに伝えたことがあります。
今なら当時推しが言わんとしていたことがわかる気がします。刀としての三日月を見届けるよ。

 

https://twitter.com/xxxchottoxxx/status/8858610743685693

https://twitter.com/xxxchottoxxx/status/885861074368569344

極の強さ

今作では不動くんと長谷部さんが極の刀剣男士として登場します。
(長谷部さん見たときに かっこいい!→ライトセイバーだ…→かっこいい!→ライトセイバーだ… を繰り返して脳が混乱しました)
小夜ちゃんもめちゃくちゃ強かったけど二人もめちゃくちゃ強い。極強い。
ところで、極の強さってどこから来るのでしょうか?
刀剣男士たちにはそれぞれ物語があります。
修行にいく刀剣男士たちはその物語を辿る。
修行とは、自分の物語と向き合うこととして描かれています。
修行から戻った刀剣男士たちが口々にするのは「今代の主のために」ということ。
自分の物語と向き合い、刀としての在り方を「今代の主の刀であること」に見出した極の刀剣男士はとても強い。
だからこそ、自分の在り方を「美しく在ること」と語られ、極の刀剣男士よりも力を得てしまった三日月がとても悲しいです。

三日月は何を守ろうとしているのか

劇中で三日月は「まだ自分にはやることがある」と言います。
そして燭台切は「刀を交えてわかった。三日月さんは何かを守ろうとしている。」と言います。
三日月の目的は何なのか。三日月は何を守ろうとしているのか。
これはまだ劇中では語られていないし、集大成と呼ばれる今作の中でも語られることはありません。
あくまでも個人的な解釈だし、ただなんとなくそう思うだけなんだけど、私は三日月は「三日月自身の物語を守ろうとしている」のだと思います。
三日月は「歴史とは結果の上に成り立っている。歴史修正主義者が歴史を変えても意味はないし、またそれを阻止しようとする刀剣男士の行動にも意味はない。」と言います。
それでも三日月は「鵺と呼ばれる」や山姥切に時間の流れを変える希望を見出そうとしています。
そして自分が守ろうとしているものを「他の者に背負わせるわけにはいかない」と言います。
また、山姥切に希望を見出すとき、「それでもおぬしなら刀剣の物語を超えて、道に耀をはなってくれるのやもしれん」と言います。
この二つのセリフから「自分の背負う物語」を守ろうとしているのではないかな、とぼんやり思うのです。
これは次回観劇のときの宿題としてとっておきます。


「鵺と呼ばれる」と三日月

「鵺と呼ばれる」と三日月はひどく似ています。
三日月は初めて「鵺と呼ばれる」と対峙したとき、発狂する「鵺と呼ばれる」を見て印象的なセリフを口にしていました。
「どうやら心が絡まり合っているようだな」
「鵺と呼ばれる」は複数の刀から成るがゆえに自身の中で複数の心が縺れ、絡まり合っている状態でした。
これは円環を回り続ける三日月と同じ状態です。
三日月は何度も時間の円環を巡ることによって時間を縺れさせ、絡まり合わせ、時間の結いの目を作ってしまいます。
何度も刀解と顕現を繰り返し、三日月は時間の円環を回りますが、果たして三日月の心はいつも1つだったのでしょうか。劇終盤に三日月は山姥切と対峙します。
歴史を変えることはできないと語る一方で、けれども山姥切なら時間の円環を断ち切ってくれるのではないかと希望を抱く三日月。
そんな自身の心を指して、三日月は自嘲気味に言います。
「矛盾しているな、心とは複雑怪奇だ」
今までの舞台刀剣乱舞シリーズにおいて、三日月はいつも仲間に答えを提示する側でした。
そんな三日月が、今作においては答えを見つけられず、自分の心の矛盾に苦しみます。
三日月も「鵺と呼ばれる」と同じように、円環を回り続ける中で生まれるいくつもの心が絡まり合っているのではないか、と思うのです。
「鵺と呼ばれる」が自分と同じであると気づいていたからこそ、歴史の異物でも生き延びられることを見せてみろ、と「鵺と呼ばれる」に時間の流れを変える希望を託したのかもしれません。

余談

私自身は「結いの目の不如帰」の解釈は、先述した解釈の中でも、不如帰=三日月だと捉えています。
パンフレット表紙で、夜の空を飛ぶ不如帰。
一方で、夜の鳥と書いて、鵺。
共に太陽の照らす方へと飛んでいけたらと願います。

付喪神

未だによくわからない部分。
現状、物の心を励起することができる存在とされているのは審神者
黒甲冑しかり、時鳥しかり、敵方の付喪神の心は誰が励起させているの?審神者
ゲームリリース当時、刀剣乱舞のデザイナーである芝村さんが、審神者は人間に限らないと言っていたのも気になります。
深い意味なんてないのかもしれないけどね。
あと黒甲冑
君は一体なんなんだ。
審神者なら誰しも知る大前提事項「時を遡るのは刀剣のみ」を覆してきた奴。
藤次郎の時代を遡って義輝の時代にやって来れたのは何故なの?
結いの目マジック?????
君の存在がこの物語をややこしくしてるぞ!

最後の三日月の顕現

刀解された三日月が最後再び顕現する演出に目眩がします。
再びループが始まる(ジョ伝から再び物語が始まる)という意味なのか本丸にとっての二振目の三日月という意味なのか。
個人的には後者なら面白いな〜と思います。
何度刀解・破壊されても何度でも顕現するゲーム的なリセットとリプレイを繰り返していくイメージ。
元々原作は何度でもループしたりリセットもリプレイも可能な「ゲーム」なので。
刀解・破壊・二振目といったゲームの中ではセンセティブな内容への問題提起(見方によってはアンチテーゼ)としても面白いと思います。
刀解なんて審神者トラウマ必至案件かましてきたんだからそれぐらいはやるかな、と。
勿論、最初の鵺の顕現との単なる対比と言うこともできると思うので今後のシリーズも見なければ真相はわからないんだろうけど!

刀ステ本丸に希望はあるのか

あります!!!!!!(と言いたい)
まあ三日月が自力で円環脱出するのは無理だと思います。(推しは最高で最強だけど)
三日月は歴史は変えられないと言います。
どんなに歴史を改変しようとしても、どんなに歴史を守ろうとしても、歴史の結果通りにしか事は進まない、と。
けれども、「歴史」を「歴史」と呼ぶことができるのは、「歴史」よりも先の未来を生きる者だけです。
三日月にとっては、「歴史」であり「過去」であることも、その時を現在進行形で生きる者たちにとっては、これから起こることはすべて「未来」のことになります。
過去は変えられないけれど、未来は変えられます。
三日月にとっては変えられない「歴史」や「過去」も、これからを生きる山姥切たちにとっては変えられる「未来」です。
未来を見てきた者が語る「歴史」なんて、それを「未来」としてこれからを生きる者にとっては妄言でしかありません。
山姥切たちが現在進行形で物語を刻んでいることが、この舞台の一番の希望だと思ってます。

余談

これは時間遡行軍の行動についても同じことが言えると思います。
時間遡行軍は自ら信長を本能寺から救い出したりしないし、自ら家康を殺めることはしません。
自ら歴史に手を加えることはないのです。
時間遡行軍はその時代を生きる者を唆して、彼らに歴史を変えさせようとします。
時間遡行軍、それを率いる歴史修正主義者はその名前のとおり、「歴史」の修正を試みています。
「歴史」を「歴史」と呼ぶことができるのは、「歴史」よりも先の未来を生きる者だけです。
歴史修正主義者にとっても「歴史」は「過去」であることに変わりはありません。
一方で、その時代を現在進行形で生きている者たちにとっては、歴史修正主義者が「歴史(過去)」と呼ぶその時代で起こることは「未来」の出来事です。
過去は変えられないけれど、未来は変えられます。
歴史修正主義者にとっての「歴史(過去)」も、これからそれを「未来」として生きるその時代の人たちは、変えることができるのではないでしょうか。
歴史修正主義者も、自分たちでは歴史を変えられないことを知っているから、その時代の人たちを唆して「未来」を変えさせ、結果的に「歴史」を変えようとしてるのではないかと思うのです。

時間軸の解釈

刀ステシリーズはどのように繋がってるのか?
個人的にはキャス変にも意味をもたせたいので、
ジョ伝→虚伝再演→義伝→悲伝 という流れで考えています。ループもこの流れ。
① 初演の演出・三日月の演技はその後の再演以降と明らかに違う(一番わかりやすいのは声、再演と義伝の声の出し方は同じ)
② キャストは初演のみ別キャスト
という2点から、初演を一連の物語の流れとは分けて考えています。
ちなみにすべての時間軸が等しく未来へ繋がっているとは考えていません。
悲伝劇中で、三日月が鵺と呼ばれるに対して「おぬし、心が絡まりあっているようだな?」とさも初めて見たような口ぶりで話していたので、鵺と呼ばれるは三日月のループにおいて初の存在だったのではないかな、と思いました。
このように、常に時間は一定のルートを辿るわけではないのであれば、未来に続くことなく途中で途切れた時間軸もあるのではないかな、と思うのです。
(途切れた理由は本丸壊滅なのか政府による時間軸閉鎖なのかわかりませんが)
要は初演が進む時間軸は未来(義伝)に続くことなく途中で途切れてしまったのではないかと。
逆に再演の時間軸は続き、義伝、悲伝という未来に辿り着いたのではないかなと思うのです。
ルート① ジョ伝→初演→×
ルート② ジョ伝→再演→義伝→悲伝
↑私達が観劇したのは再演から一続きになっている悲伝。

カテコ

ここが一番こみ上げるものがあった。
話の内容がどうとかではなくて、単純に舞台刀剣乱舞という作品が2年間途切れることなく続いた事実に感動しました…ここで勝ち鬨の歌はズルいよ〜
あと2番の歌詞が新鮮でした。旅立ちの歌か〜
聞き取れた2番の歌詞を少しだけ。

やっぱり毎回推しに釘付けになってしまってあまり聞き取れていない


桜吹雪  ひらり顕現し
現し世にまた息づく由縁(所以?)

無限の縁(歴史?)を乗り越え

鋭き眼(まなこ)見据える世界

受け継がれしは 柳緑花紅(柳緑桃紅?)

時の足跡 守り抜け

刀としてある証明 物が語る故物語

向かえ終わらぬ戦いへ 身と心極め 旅立ちの歌
刀剣 乱れ舞い上がれ 凛々と彩り 咲き誇れ
強く輝く 華となれ
いざ行け 出陣の合図 鋼の心を胸に秘め
恐れず 戦え 散りゆく時まで

余談

「歌わない三日月」について。
カテコは推しのワンテンポ遅い踊りを見るのに夢中で気づかなかったのですが、カテコで三日月歌ってないらしいですね…
一番シンプルな解釈は「刀解されたから」かな。刀解されて、語れなくなったから。
個人的には、三日月は負けたから歌わない、のかな~と思いました。
最後の山姥切との勝負や他の仲間には勝ったけど、時の流れには負けたから。(円環から抜け出せなかったから)
負けた刀は「勝ち鬨の歌」を歌えないのでは?
その他の刀は三日月との勝負には負けたけれども、未来へ、新たな物語へ進んだので「勝ち鬨の歌」を歌うことができたのかな〜と思いました。

 

OPも聞き取ってみたのでメモ代わりに置いときます。

OP歴代最高にかっこよくて毎回失神しそうになる…推しかっこいいよ~

 

糾える 出会いと別れ 行く末に何が見えた

置き去りにされた季節の花染め舞う刀
物語る螺旋の中 悲しき運命 乗り越えいつか 浮かぶ波紋打ち消して
もう一度触れたいのは美しの色 夜に滲む
繋ぎ止めて 縺れた時 心あるが故に想う
辿る縁(よすが) 永き刹那

悲しみに咲いた 花びらひとひら

天に散る

 

あと山姥切の真剣必殺(仮)の挿入歌も。

 
the empty space    the lonely grace

in the darkness   star lights (starlights?)
the charm is where   the love is huge
ever lasting
なんだか今までの刀ステシリーズを想起させるような歌詞だなあ。
empty space→虚、lonely grace→義、star lights→ジョ、charm is where→外、love is huge→恕
うーんそれっぽいけどオタクの妄想感はあるかな…

 

公演回数

これはただのオタクの妄想です。
初演24公演、再演37公演、義伝46公演、小田原1公演、ジョ伝17公演、悲伝55公演
舞台刀剣乱舞は悲伝の大千秋楽で180公演目を迎えます。
今回の悲伝で、舞台刀剣乱舞シリーズはひと段落するとのこと。
円環の半分を迎えた、ということなのでしょうか。
そうしたら残りの公演はあと180公演?
いや、もしかしたら円環を抜けた先、361公演目が舞台刀剣乱舞の終着点?
円環の果てで推しにスタオベを贈れるように、オタクは通い続けるだけです。

次回の観劇への宿題

・義輝に刺さった刀剣の本数は?
→6本だったとの情報いただきました。
・どんぐりの伏線はどこで回収されたのか?(まだ回収されていないのか?)
・三日月が守りたいものとは?三日月の物語とは?
・三日月は自身の美しさについて何か思うことはあるのか?
・海の意味とは?(山姥切が流れ着いた先は波の音がしていました)
義経、藤吉郎、家康、新撰組坂本龍馬、大戦の意味は?
→刀ミュとの繋がり(別本丸がある事が前提の世界観だし)+新たな時代の始まりを示唆する歴史上の象徴的な出来事の回想?
大戦は「新たな時代の始まりの示唆」と「刀剣が使われなくなった」ことを示している?
(大戦は刀の戦時供出も意味してるのでは?とのコメントもいただきました。)
・時鳥の口上「明鏡止水の刀なり」の意味とは?

→名前を得る前の「心が絡まりあってる状態」との対比?
・歌詞回収(挿入歌の~darkness ever lastingも聞き取りたい)

とりあえず1公演観劇しておもったことを。
宿題回収したいけど私の手元には1ヵ月後の公演のチケットしかないので京劇で回収できる方いたら回収してきてください…京劇も見たかった…
また思い出したら更新します~
何はともあれ三日月さん幸せになってくれ頼む。

次は福岡公演を観劇予定です。1ヶ月ぶりの推し楽しみだ~
福岡がラスト生刀ステなのでしっかり目に焼き付けてきたいと思います!

(凱旋チケ諦めてないけどな!)

 福岡公演のあの話は別記事で。

 

xxxchottoxxx.hatenablog.com